「市民」について

 奈良の「古書喫茶ちちろ」で絵葉書を購入し、我が家法である骨董本棚に飾ったの図。あー、うれしい。
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 「古書でおま!」って感じの本たちと、「さっきまで昼寝してたやろ」って感じのちゃぶ台が並べられた古い民家の古本屋兼喫茶店だった。ますます奈良に住みたい気持ちがつのるのでした。
 
 「釜ヶ崎では、警察を呼んでも騒ぎが治まって皆が帰ってから警察官が来るんやで。馬鹿にしてるやろ」という話を聞く。ちなみに西成警察は目と鼻の先にある。110番はいつでも誰にでもすぐに駆けつけてくれるわけではないみたい。

 家に帰ってテレビをつけると、初の「裁判員制度」で裁かれる裁判の報道ばかりで、なんか気が滅入る。キャスターが「あなたが裁判員に選ばれたときのことを想像しながら」とか言うから、ますます気が滅入る。選ばれたらイヤだ。
 それにしても、「裁判員制度」の良し悪しはともかくとして、「市民」はそんなに善良なのか?とどうしても思う。そして「市民感覚」ってそもそも何?新聞の見出しは「市民感覚の懲役●年」。プロが裁くよりも重くなったらしいが、「市民感覚」は厳しいってことか?「目をそらさずに被告を見据え立派に・・・」って、そらそうやで、目はそらさへんで、興味津々なはずやで、「市民」ってそんなもんやで。死体の写真も見せたらしいが、そうする意味がどこにあったんだろうか。「人が殺されることの重大さをわかってもらうため」という説明だったけれど、本当に死体を見ないと「死」の意味が想像もできないのであれば、殺人者なみに終わってる。
 とにかく「市民」という実像のない存在を、全面的に「善」と書く風潮にすごく違和感を感じる。恐いくらい。
 「善良な市民」が少しずつボタンを掛け違えて「犯罪者」になる。隣のおばさんを指したおじさんも、昨日までは「市民」だった。感情で裁いてしまわないように、暴走しないように、職業としての「裁判官」がいるんじゃないのか。そこに「市民感覚」持ち込んで大丈夫なんだろうか。
 驚いたのは、裁判員のほとんどが記者会見で顔を明かしているということ。もしも私が裁判員で、少しでも加害者に同情的なコメントをしたら、その後も私は社会で無事に生きていけるんだろうかと、ちょっと心配。
 あー。やだな。
 そうだなー。もし、私が裁判員に選ばれて記者会見に出ることがあったら、こう言おうと思う。
 「審議は今みたいに3日間通しではなくて、審議と審議の間は数ヶ月開いてる方がいいと思います。その間、事件のことを思って悶々としないといけないから。眠れなくなるかも知れないから。苦しみもしないで人のことを裁いては、いけないと思うから」
 素晴らしい。まるで「善良な市民」だ。
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by bag-tentomusi | 2009-08-06 23:55


「知彩庵」より。日々の咀嚼と、紡ぐことば


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