表現について

 千早赤阪村の古民家に3年前から暮らす方のお宅を訪ねて、そうめん流しをやった。
 まずは竹を切っていただいて、器とお箸を作る。縁側に腰掛けてひたすらヤスリをかける作業は、とても楽しい。少しずつ細くなる。少しずつなめらかになる。お箸のことだけ考える。
 お宅のある集落は、私が昔ネパールを訪れて泊めていただいた村に少し似ていた。山の斜面に沿って建てられた家と、それらを結ぶ細い坂道。谷に向かって作られた縁側。ネパールを何度も訪れヒマラヤを登っておられる住人さんが、たまたまなのか、この家に住むことになった巡り合わせを思う。
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 そうめん流しの後、ヒマラヤから帰ったばかりな住人さんの、ヒマラヤスライドショーをやっていただいた。
 「すごくすごくしんどくて、でもなぜかすごく充実してて、感動する」。ヒマラヤへ行くことは、理屈ではないんだろう。写真や文章ではなく、「ヒマラヤの土を踏みに行くこと」それ自体が、その方の「表現」そのものなのかも知れない。
 「なんであんな綺麗な色の写真が撮れるんやろう?」と言っていたら、友人が「素材がいいからや」とばっさり。でも、そのとおりなんだと思う。空気の凛々しさまで伝わる写真だった。

 今日NHKでやっていた「爆問学問スペシャル」で、爆笑問題の大田と東京芸大の先生や学生たちが「表現」について討論しているのが、とても面白かった。「自分の表現を続けるために、魂を売らないといけなくなるときが必ず来る。表現を守ることも、捨てることも、両方出来ることが大事」と言う大田。一方で学生は「今、理解されなくても、ずっと先に理解されるかも知れない」「たとえメジャーにならなくても、次世代に受け継いでいくことが大切」という具合。
 私は学生の頃よりはちょいと歳をとったので、エリート芸大の学生たちの話を聞いて「食べてくってことは、そんなに甘くはないよなー」などと思ったりしつつ、そういうふうに考える時間や空間が人生には必要だよなーなどと思う。できたらずっと考えてたいけど、そういうわけにはなかなかいかない。
 「(自分の表現を)誰も聴いてくれなかったら意味がない」と言う大田に対して芸大の学長さんが、「生きていくこと自体が表現なんだから(いい)」と言ったのは、いかにもお茶を濁した感じだったけれども、実はそれが本質なのかも知れない。

 でも、「生きていくこと自体が表現」なんてことをすんなり飲み込めるには、彼らも私も、まだ少し若すぎる。
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by bag-tentomusi | 2009-08-17 00:44


「知彩庵」より。日々の咀嚼と、紡ぐことば


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