1月17日

 「この震災で、嫌いな担任教師が遅刻したらいいのに、来なきゃいいのに」って話を、級友とした。

 地元紙の一面に『返して優しかったおばあちゃん』という見出しで、なぜか自分や弟の写真が載って、「遺族」という存在と、自分がそれに当たるらしいことを、初めて知った。
 私は死んだひいばあちゃん達が「優しかった」記憶なんてないし、親戚内では「返して」どころか「煩わしい」存在なのだと思っていたから、驚いたけれど、「遺族のあるべき姿」として理解した。
 
 全壊した家を一緒に見に行くかと親に聞かれたけど、なぜか行けなかった。「あの場」を見ていたら何か違ったろうかと、今も悔やむ。
 
 震災直後、「次は生駒断層が動く」と噂される中、同時実家にたくさんあったミネラルウォーターを「被災地には、絶対送らない」と祖母が主張した。隣りの県で「水がない」と言われているのに、我が家には飲みきれないほどの水があった。
 
 避難所の惨状が伝えられる中、神戸の親戚たちは、さっさと大阪のホテルに移って快適そうに見えた。
 
 私はすぐに高校生になって、震災のことは忘れた。
 遺体安置所には行ったし、鬱血した死に顔は今も忘れられないけど、高齢だったひいばあちゃんたちが「震災で逝く」のと「普通に逝く」のはどう違うのか、分からなかった。正直、今もよく分からない。

 その後、少し上の世代や、同時中学生だったはずの同世代までが、「あの場」に行って行動したのだということを知った。
 当時の自分とその周囲は、それに比べて、とても、みっともなかった。

 友人たちが「あの日」と呼んで想いを共有しているのを見ると、恥ずかしい思いがずっとしている。もしそこに「原点」を求めるなら、私の原点は人の「みっともなさ」だろう。
 
 それにしても18年というのは、ずいぶん長い年月が経った。
 今は、人の「みっともなさ」を知っていることは、「強さ」を知っているのと同じくらい、大事なことだと思うようになった。
 ずいぶんな開き直りではある。
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by bag-tentomusi | 2013-01-18 00:23


「知彩庵」より。日々の咀嚼と、紡ぐことば


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