2010年 08月 29日 ( 2 )

町の職人さん

 メガネを新たに作りに出かける。
 今のメガネは、10年くらい前に作ったものなので、そろそろ良かろう。

 前回、気に入ったものを見つけていたので、心斎橋のメガネ屋さんで購入を決めた。心斎橋筋商店街の本町寄りの店で、洒落た店作りにはなっていたけれど、まぁ、「心斎橋筋商店街の本町寄り」(笑)なわけで、色眼鏡をかけて、声のトーンもしゃべり方も「ナニワ」な感じの小柄なおっちゃんが店長さんだった。「うーん。やっぱりキタか神戸で購入したら良かったかも」と思わせる、胡散臭さ。私の担当は若い兄ちゃんだったので、横目に観察をするのみ。

 すると。レンズが出来上がるのを待っている途中、そのナニワ店長がしゃべりかけてくる。「今のメガネの調子はどうですか?」と。実際、あんまり調子が良くなかったのでそのように伝えると、ちょちょいと具合よくあわせてくれた。そして、あっという間にレンズを外してしまい、分解して洗浄している!そんなメガネ屋初めて見たぞ。「えーー?そんなにすぐに外せるんですか?」と思わず聞くと、「ははは。そらぁ、プロですから」。
 おっちゃんの手技を見ているのは、とても楽しかった。メガネのことも、色々聞いた。最近は老眼で手元が見えにくくて、30代の頃が最も早かったらしいけど、スッと触って一発でサイズをあわせるのは、まさに職人技。若い店員みたいに「これで、大丈夫ですか?」などとは聞かず、「さぁ、これで、かけてください」と、色眼鏡の奥から自信たっぷりに、にっこりと笑うのだ。
 メガネって、ファッション以上に「道具」なんだなぁ、それを扱う人は「メガネ屋」ではなくて「眼鏡職人」なんだなぁと思った。思わせていただいた。
 私はこれから先もおそらく、と言うか確実に、メガネと共に生活しないといけない人生だと思うけれど、今後はきっと、この店に足繁く通うことになるであろう。足繁く通って、何も買わずにお茶を飲んで修理をしてもらったりするであろう。

 腕のいい「町の職人さん」(靴の修理とか傘の修理とか、草履の鼻緒をすげる人とか)に出会えると胸が弾む。お話しながら手元を見ている時間や、出会えた喜びも含めて、買っているみたいなものだと思う。

 思い出してみると、実家の祖母も「あれは○○はん。これは△△はん」というように懇意にしている人を持っていて、あんまりリーズナブルじゃない個人のもとへ「わざわざ」出かけていた記憶がある。そういうのを昔は、「アホの金持ちのやること」みたいで(おそらくは両親も)彼女をバカにしていた(でも職人さんのもとについて行くのは好きだった)。
 我が家は確かに「金持ち」の部類に入ったのかも知れないけれど(内情は知らんが)、親戚や近所の人たちは小さい私に向かって「あんたんとこは金持ちだから」とほとんど嫌味をよく言った。嫌われてたんだと思う。だから私は、「金持ち」と思われるかも知れないようなことは極力避けたかったし、恥ずかしくて仕方がなかった。

 今、そういうことから自由になってみて、残念ながら個人的にはあんまり「金持ち」じゃない大人になってみて、私は祖母のようなものの買い方を、やはり好ましく思っているのだということに気づく。
 ものを「買う」という行為には、高かろうが安かろうが、それだけじゃない意味と価値がある。そして私はどうやら、祖母という人が「アホの金持ち」だったかどうかの真意はともかくとして、そういう「お金」の使い方を割と粋だと思っているようだ。
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by bag-tentomusi | 2010-08-29 23:44

西区の事件についてさらに想う

 ゴミを出そうと思って、新聞を読み返す。児童虐待の記事に目が留まる。
 大阪市は、虐待の通報があり緊急性がある場合は、消防隊員が現場に直行して窓枠を壊したりして中に踏み込んでもいいように「調整中」という記事。
 
 なんつう恐ろしい・・・。

 さすがに児童相談所の職員が、「児童相談所は子どもを引き離すことではなくて、その後家族が一緒に暮らせるようにするのが最終的な目的なのだから、それでは母親との信頼関係がとれなくなる」とコメントしていた。
 どこかから匿名の「通報」があり、消防隊員が突然やってきて我が家の窓を蹴破り、泣き叫ぶ我が子を「保護」していく・・・。まるで、「精神障害者」の歴史を聞いているみたいだ。どこかから「あそのこ家の人はおかしい」という通報が保健所に入り、警察と相談員がやってきて、入院させてきた歴史。

 子どもに罪はなく、保護すべきだから?そりゃそうだ。正し過ぎる。
 でも、子どもは親を庇う。どんなにろくでもない親でも、庇おうとする。
 一度、消防隊員に踏み込まれて「事なきを得た」子どもと母親は、その後はもっと必死に、自分たちのことを「隠そう」とするだろう。親は「泣くな」と怒るだろうし、子は声を押し殺して泣くだろう。責めるだけでは嘘隠しがうまくなるだけ。恥部をさらけ出せない社会ができるだけ。

 しかし、メディアが「住民からの通報」と言うとき、何の躊躇もなくそこには「善意の」という暗黙の前置きが存在するけれど、本当にそうなのか?
 「なんか、隣りの家の子どもの泣き声がうるさいんだけど、虐待じゃないの?」という電話をかける。名前も名乗らない。声もかけてあげない。どんな親子が住んでいるのかも知ろうとしない。でも「私はちゃんと通報しましたよ」という免罪符だけは得る。そういうことは想定しないのか?
 とんでもなく悪人の親が、いきなり虐待に及ぶわけじゃない。
 その「哀しさ」も分かろうとせずに、自らの手も汚さずに、通報するのは、「善意の市民」なのか?
 

 
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by bag-tentomusi | 2010-08-29 22:31


「知彩庵」より。日々の咀嚼と、紡ぐことば


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