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新秋

 病院側の治療プログラムに対して、「あー、しょうもな」「はー、寝てもうたわ」と、いちいち悪態をつくおばあさんが、表でうんこ座りをしてひとり、煙草をふかしてる。
 その前で、サングラスをかけた黒人のお兄ちゃんが胡坐をかいて紫煙をくゆらせている。
 黒人のお兄ちゃんは、治療やプログラムのことを笑っておばあさんに説明している。おばあさんは、「ふーん」と言って聴いている。
 ここの人たちは、やさしいなぁと、私は思う。 
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by bag-tentomusi | 2009-08-31 23:41

出会いと別れと

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 大阪は交野市の酒蔵へ、お料理と地酒を味わいに出かける。交野市へは初めて訪れたが、こういう古い町が残されていることが、まず嬉しい。地元の米を使ったもので、大吟醸の生酒と、純米大吟醸をいただいた。
 最近、地酒がもてはやされているけれど、うちの父(酒問屋)はあまり地酒に興味を示さない。菊正宗や白鶴や月桂冠といった「普通の酒」をが美味しいと言うし、実は私もそっち派。それらの大手酒造メーカーが安物の酒を売り出して自分たちの質を下げてしまったことは、自業自得ではあるけれど、残念なことだと思う。今、日本酒好きの人で、好きな酒に大手メーカーの名前を挙げる人はあまりいない。でも、大手メーカーが出してる「本気」(笑)大吟醸とかを自宅で飲む機会に恵まれた私は、そんな酒はやっぱり本当に洗練されてて、さすがだと思う。失礼ながら、地酒の田舎臭さとは違う貴族の味がする。どんなに薄利多売主義に走っても、組織内には引き継がれてきた職人のプライドがあるのだと、信じたい。

 職場が異動する話を、担当の患者さんたちに伝えている。
 派手な感じのおばあさん(?)がいて、その方に「いややー」と泣かれて参った。
 「うちな、スタッフのなかであんたが一番、しっかりしてると思うねん。ほんで、あんたが一番恐いねん」
 「え?そうなんですか?」
 「うち、頑張ったのに。いややー(泣)」
 「(笑)今度くる人は、私よりやさしいですよ」
 「・・・。そうなん?でもー(泣)」

 担当していた方は、こちらはそれぞれに思い入れがあるけれど、向こうの反応は十人十色で「あーそうですかー。はいはい、分かりました」という人がほとんど。そんなに皆に密にかかわれたわけではない。それでも、数人はそれなりに想いを持ってくれているようで、その想いを素直に表現してくれるような人たちではないけれど、なおさらやり切れない思いになる。「恐い」と言われるように、厳しいことを言ったりぶつかることの方が多かった。それでも慕ってくれた患者さんがいることは、本当にありがたい。今度、一緒に就職の相談に行くのが、こちらでの最後の仕事になるかなぁ。

 今うまくいっているようでも、明日にはどうなっているか分からない病気。「また、元気な顔で会いましょう」と声をかける。本当にそうであって欲しいと思うけれど、その確立は低いことも知っている。
 それでも、くそったれな人生の中でほんの少しでも「うまくいった」経験があることが、何かの力になればいいと思う。出会いと別れがあって、それでも明日が続いていくことが、なんだか不思議な気がしてくる。

 なぜだか、私も古い友人に会いたくなった。
 
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by bag-tentomusi | 2009-08-30 23:59

それでも人生は

 奈良のきたまちへ、古い家を探しに出かける。
 ちょうど、目をつけているところがあって、中を見せていただいた。築年数は不明だが、90歳のおばあさんが「嫁に来たときには建っていた」という二戸いちの古民家。使いやすく多少の改築はされているが、坪庭が付いている!!南の窓からは若草山、北の窓からは聖武天皇稜が見える!
 ただし、お家賃が高い。営業のお兄さんよ、最低でも2万円ダウンだ!頑張ってくれたまえ。

 大阪は好きだけれど、最近は年々、奈良に戻って住みたくなっている。理由はあまりない。「それがいい」気がする。よく分からないけれど。

 ここ数ヶ月間、個人的に哀しいことや許しがたいことがあって、少し落ち着いた矢先に仕事上の異動となった。9月には、別れと出会いが嫌でも待っていることになると思う。
 けれどもそんな現状に、勝手にセンチメンタルになっている私はお気楽なのかも知れない。別れも出会いも「仕方のないこと」として受け流す習慣のついている私の患者さんたちは、それが「処世術」でもある彼らは、たいした感慨もなくそのことを受け入れるのかも知れない。別れを惜しんでもらいたいのは私のエゴでしかない、私の自己満足のために彼らがいるのではないと、新人のころにそういえば怒鳴られた。

 思えば今の職場に入り、上司に出会い、最初の異動があり、また今回の異動があり、不思議なタイミングでいろいろなことが自分に課せられているように思う。大袈裟だと自分でも思うが、大きな渦のなかで生きているのだなと、思ったりする。

 ずっと記憶の奥底にあったのに、このごろ気が付くと口ずさんでいる詩があるので、書き留めておこうと思う。韓国の元従軍慰安婦の方たちのために贈られたという詩で、学生のころに教えてもらった。

その人たちが話す 逆に口がきけなくなった私たちに
愛しなさい
許しなさい
和解しなさい
ひとつぶの涙さえ今は乾き
血色に充血したあの目で
それでも人生は幸せなものだと
もっと生きてみるものだと
あつく私たちを抱きしめる
(一部抜粋)
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by bag-tentomusi | 2009-08-20 22:59

表現について

 千早赤阪村の古民家に3年前から暮らす方のお宅を訪ねて、そうめん流しをやった。
 まずは竹を切っていただいて、器とお箸を作る。縁側に腰掛けてひたすらヤスリをかける作業は、とても楽しい。少しずつ細くなる。少しずつなめらかになる。お箸のことだけ考える。
 お宅のある集落は、私が昔ネパールを訪れて泊めていただいた村に少し似ていた。山の斜面に沿って建てられた家と、それらを結ぶ細い坂道。谷に向かって作られた縁側。ネパールを何度も訪れヒマラヤを登っておられる住人さんが、たまたまなのか、この家に住むことになった巡り合わせを思う。
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 そうめん流しの後、ヒマラヤから帰ったばかりな住人さんの、ヒマラヤスライドショーをやっていただいた。
 「すごくすごくしんどくて、でもなぜかすごく充実してて、感動する」。ヒマラヤへ行くことは、理屈ではないんだろう。写真や文章ではなく、「ヒマラヤの土を踏みに行くこと」それ自体が、その方の「表現」そのものなのかも知れない。
 「なんであんな綺麗な色の写真が撮れるんやろう?」と言っていたら、友人が「素材がいいからや」とばっさり。でも、そのとおりなんだと思う。空気の凛々しさまで伝わる写真だった。

 今日NHKでやっていた「爆問学問スペシャル」で、爆笑問題の大田と東京芸大の先生や学生たちが「表現」について討論しているのが、とても面白かった。「自分の表現を続けるために、魂を売らないといけなくなるときが必ず来る。表現を守ることも、捨てることも、両方出来ることが大事」と言う大田。一方で学生は「今、理解されなくても、ずっと先に理解されるかも知れない」「たとえメジャーにならなくても、次世代に受け継いでいくことが大切」という具合。
 私は学生の頃よりはちょいと歳をとったので、エリート芸大の学生たちの話を聞いて「食べてくってことは、そんなに甘くはないよなー」などと思ったりしつつ、そういうふうに考える時間や空間が人生には必要だよなーなどと思う。できたらずっと考えてたいけど、そういうわけにはなかなかいかない。
 「(自分の表現を)誰も聴いてくれなかったら意味がない」と言う大田に対して芸大の学長さんが、「生きていくこと自体が表現なんだから(いい)」と言ったのは、いかにもお茶を濁した感じだったけれども、実はそれが本質なのかも知れない。

 でも、「生きていくこと自体が表現」なんてことをすんなり飲み込めるには、彼らも私も、まだ少し若すぎる。
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by bag-tentomusi | 2009-08-17 00:44

万灯篭

 東京から友人が来たので、奈良の燈花会へ行く。
 全国的な「灯火ブーム」(ってあるのか?とりあえず、いろんなところで流行っている気がする)に乗っかってか、古都奈良でも何年か前から、奈良公園のあちこちに蝋燭を並べる催しが行われている。私が奈良で過ごしていた子ども時代には、まだなかったと記憶していて、「ほー、奈良も洒落たことを」などと思っていた。わざわざ出かけるのは癪に障る気がしなくもないけど、「東京からの観光客を連れて来ている」という大義名分により、浴衣を着て張り切って参加(笑)。

b0180333_0152218.jpg 日暮れ後の奈良公園は、しっとりとしていて懐かしい。子どもの頃、なぜか毎年「食事券」をいただけたので、年に一度は奈良ホテルの隣にある「菊水」というフレンチレストランで食事をするのが我が家の行事だった。うちの祖母と幼馴染だというおばあさんが給仕さんで、白いエプロンをひらひらとつけて、こちらがずいぶん大きくなってからも私と弟を「お譲ちゃん」「ぼん」と呼んでくれた。フロアに背筋の伸びた若い颯爽としたスタッフはいなかったけれど、なんとなく品のあるおばあさんたちだった。なんだかいい時代だったんだなぁと思う。そんな「菊水」からの帰り道の奈良公園とか。観光客が去った、鹿の鳴く奈良公園とか。

 燈花会は、個人的には「やりすぎ」感があった。遠目に見た方が綺麗だし、もう少し控えめな方が好み。
 それよりもと言うか、それに比べてと言うか、年に一度しか行われない伝統行事である春日大社の万灯篭がすばらしかった。
 小さな灯篭に蝋燭をともしてもらって、街灯のない参道を歩く。参道が狭くなると、石の灯篭がゆらゆら。二列三列と奥行きのあるばらつきで、曲がりくねった坂道に並ぶ灯篭は、妖艶な雰囲気。あー、あそこに妖怪がいるなと思う。燈花会の明るい蝋燭には表現できない世界。燈花会に妖怪はいない。
 一年でこの日しか入れない春日大社の中の釣灯篭は、切り絵の世界。一つ一つの模様が影絵になって、これは信仰っていうか「遊びごころ」だよなーなんて思う。

 虫の声、切り絵、気持ちのいい風・・・。なのに、「立ち止まらないでくださーい。写真を撮ったら進んでくださーい」という拡声器の声が響くのが残念。とても残念。そんなに混んでないんやから、そない必死にならんでも。
 中島義道さんの『うるさい日本の私』を思い出した。
 いいじゃん、少しくらいゆっくり眺めても。列が本当に詰まったら、そっと肩をたたいて「少し進みましょか」ってささやいてくれたらいいのにさ。
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by bag-tentomusi | 2009-08-14 00:11

「市民」について

 奈良の「古書喫茶ちちろ」で絵葉書を購入し、我が家法である骨董本棚に飾ったの図。あー、うれしい。
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 「古書でおま!」って感じの本たちと、「さっきまで昼寝してたやろ」って感じのちゃぶ台が並べられた古い民家の古本屋兼喫茶店だった。ますます奈良に住みたい気持ちがつのるのでした。
 
 「釜ヶ崎では、警察を呼んでも騒ぎが治まって皆が帰ってから警察官が来るんやで。馬鹿にしてるやろ」という話を聞く。ちなみに西成警察は目と鼻の先にある。110番はいつでも誰にでもすぐに駆けつけてくれるわけではないみたい。

 家に帰ってテレビをつけると、初の「裁判員制度」で裁かれる裁判の報道ばかりで、なんか気が滅入る。キャスターが「あなたが裁判員に選ばれたときのことを想像しながら」とか言うから、ますます気が滅入る。選ばれたらイヤだ。
 それにしても、「裁判員制度」の良し悪しはともかくとして、「市民」はそんなに善良なのか?とどうしても思う。そして「市民感覚」ってそもそも何?新聞の見出しは「市民感覚の懲役●年」。プロが裁くよりも重くなったらしいが、「市民感覚」は厳しいってことか?「目をそらさずに被告を見据え立派に・・・」って、そらそうやで、目はそらさへんで、興味津々なはずやで、「市民」ってそんなもんやで。死体の写真も見せたらしいが、そうする意味がどこにあったんだろうか。「人が殺されることの重大さをわかってもらうため」という説明だったけれど、本当に死体を見ないと「死」の意味が想像もできないのであれば、殺人者なみに終わってる。
 とにかく「市民」という実像のない存在を、全面的に「善」と書く風潮にすごく違和感を感じる。恐いくらい。
 「善良な市民」が少しずつボタンを掛け違えて「犯罪者」になる。隣のおばさんを指したおじさんも、昨日までは「市民」だった。感情で裁いてしまわないように、暴走しないように、職業としての「裁判官」がいるんじゃないのか。そこに「市民感覚」持ち込んで大丈夫なんだろうか。
 驚いたのは、裁判員のほとんどが記者会見で顔を明かしているということ。もしも私が裁判員で、少しでも加害者に同情的なコメントをしたら、その後も私は社会で無事に生きていけるんだろうかと、ちょっと心配。
 あー。やだな。
 そうだなー。もし、私が裁判員に選ばれて記者会見に出ることがあったら、こう言おうと思う。
 「審議は今みたいに3日間通しではなくて、審議と審議の間は数ヶ月開いてる方がいいと思います。その間、事件のことを思って悶々としないといけないから。眠れなくなるかも知れないから。苦しみもしないで人のことを裁いては、いけないと思うから」
 素晴らしい。まるで「善良な市民」だ。
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by bag-tentomusi | 2009-08-06 23:55

『選挙』

 同じく想田監督の作品『選挙』を、懲りもせずに第七芸術劇場で観る。
 七芸は、十三のピンク街のど真ん中にあるミニシアター。例えどんなに映画で素敵な世界へ飛んでいけても、映画館を一歩出たら「超現実!」ってところがいい(いいか?)。
 
 『選挙』。自民党が素人を「公認候補」としてまつりあげ、いかに選挙戦を展開していくかを描いたドキュメンタリー。川崎市の市議会の補欠選挙で、野党と与党が18対18で拮抗している状態だから、補欠の「あと一票」としてだけの候補者として、「山内さん」が選挙に初挑戦する。
 講評などには「笑える」とか書いてあるし、世界中で面白く放送されたらしいが、日本社会に身を置く私としては、痛々しくて笑えなかった。自民党や選挙が「おかしい」というよりは、私の周りにも「よくありそうなこと」だから。
 自民党公認になった山内さんは、「選挙のプロ」たちから怒られまくる。失敗したら「あんたの選挙なんだから、あんたが決めろ!」と怒られながらも、すべては言われるがままにしないとまた怒られる。奥さんを「妻」と呼ぶと怒られる(「家内」が正しい)。「政策なんて誰も聞いてないから、名前をとにかく連呼しろ」と言われる(実際彼は、政策らしいものは語らない)。道路に並んで、順番に「山内でございます。いってらっしゃいませ!」→皆「いってらっしゃいませ~!」(部活か?)。奥さんも「家内が一緒にやってるってイメージが大切」と借り出され、しまいには「仕事もやめろ」と言われる。後援会で、「政策はいいから、子作りにいそしめと話してるんですよ。疲れてるときほど生殖能力はあがる」などと平気で言う議員と、ニヤニヤする支持者たち(結婚式の挨拶なんかでも思うけど、なんで人々は夫婦の子作りにこうもヅカヅかと踏み込みたがるのだろうか)。幼稚園の運動会へ出かけまくり、子どもたちを「気をつけ!」させて来賓挨拶という名の選挙演説をしたり、老人会?の運動会で、なぜかラジオ体操を一緒にやったり、お祭りで神輿をかついだりを、応援の自民党議員総出でやる。「これだけ総出で手伝ってもらって議員にしてもらうんだから、造反なんてあり得ないんだよ」。
 意見は語るな。言われたとおりにしろ。失敗したら「自己責任」。育ててもらったんだから歯向かうな。ラジオ体操、順番に台詞を連呼、そういうことをニコニコやる。疑問は感じるな。あー。私、そういう「世界」、いろんなところでよく知ってるよ・・・。
 
 で、そんな「政策を語らない」自民党候補の山内さんは、結局のところ当選してしまうんだなー。
 はぁ。
 
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by bag-tentomusi | 2009-08-01 01:44


「知彩庵」より。日々の咀嚼と、紡ぐことば


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