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晩秋

 雨がやんで、あきれるような秋の空。
 
 「癌やって」と、別の病院を受診した方が帰ってきた。
 
 「恐いとか、悲しいとかじゃない。こんなときに『呑めない』ってことが、すごく悔しい」って。
 ああ、そうなんやなぁ。
 そうなんやろうなぁ。
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by bag-tentomusi | 2009-10-27 22:47

つやつやの葉っぱ

 我が「同居人」であるガジュマルの盆栽が、ものすごく元気である。我が家にやって来て1年半ほど、枯れはしないけれど茂りもしないと言うか、ヒョロヒョロの全然「南国」っぽくない奴だった。それが先月あたりに一斉に葉を落とし、「ああ、とうとう枯れてしまうな」と思ったら、青々とした緑を吹き返した。一度裸になったあとの葉は、つやつやしてる。
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 友人の誘いで、門真市の国保実態調査に参加した。2日間で400名近いボランティアが参加して、800世帯近い回答を得ることが出来たらしい。一つ一つのお宅を訪問して、生活実態を聞き取っていく作業。
 私が担当したところは、7年前に売り出された分譲住宅で、3階建ての戸建てが密集した地域。ほとんどが子育て世代の社会保険世帯で、残念ながら国保世帯には出会えず。その後、門真団地の調査へも少し加わる。
 門真団地は昭和40年代にできた広大な団地で、いくつもの棟が並ぶ中にたたずむと、郷愁のなかへ吸い込まれるような、奇妙な気持ちにさせられる。黄昏どきの団地を歩きながら、この団地が賑やかだったときのことを思う。そしてふと、その前に訪問した分譲住宅地の50年後を想像してみる。今は賑やかなあの地域の未来の姿は、今の門真団地にある。3階建ての独立した狭い戸建て住宅で、高齢化した今の現役世代が、果たしてどうやって暮らしていくのか。次々新しい住宅地を作っては、現役世代ばかりが移り住み、順繰りに「高齢化地帯」を作っていくような開発の仕方は、いい加減無理があるのじゃなかろうかと思う。

 今回の調査には若い学生さんも参加していて、門真団地の住人の方たちはご自宅に招き入れてくれたりして、話を聞かせてくださったそう。『反貧困・相談会』に参加したときも思ったけれど、「相談」の前に「世間話」すら欠如したなかでの暮らしが、本当にたくさんあるのだと思う。必要なのは「解決してくれる人」の前に「一緒に困ってくれる人」だということ。
 
 こういう大きな「ソーシャル・リサーチ」に参加したのは初めてで、「ケース」がどのように「ソーシャル」なものになっていくのか、体感してみたかった。今回自分が出会った方や、他の方の感想を聞いていても、日々の仕事で出会うことと大差なく、学生さんの「感動しましたー」的な感想を聞いていると、日々自分が、どれくらい貴重な出会いを与えてもらっているのかを、ひしひしと感じる(そういう点では、「その質問の仕方はあかんやろ」とか「テレビ局の人の質問、誘導しすぎ」とか、内心の突っ込みも多かったけど)。
 この調査が、「声なき声」を拾うことで制度を変えていくかも知れない。
 なるほどなー、と思いつつ、私はこれからも、目の前の一人一人にかかわるミクロなことを、もう少しだけ、がんばってみようかな。その後ろにある景色を眺めながら。

 「右眼でファインダーを。左眼でそこには映らない世界を」。フォトジャーナリスト、長倉洋海さんのお言葉。
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by bag-tentomusi | 2009-10-27 00:04

火鉢のある食卓

b0180333_093197.jpg パラオのことを書くのにずいぶんと時間がかかったので、「いつまでパラオにいるのだ?」という感じだけれど、実際の生活は嫌になるようなスピードで進んでいて、パラオから帰ってすでに1ヶ月以上が経過している。
 その間、仕事で行ったはずの別府で公衆浴場(写真は「竹瓦温泉」)に入りまくったり(だって100円!4軒ハシゴした)、職場が実際に異動したり、八尾にベトナム人コミュニティ(ベトナム戦争のときに逃れてきた人たちの)があることを初めて知って、微妙な河内弁(大阪弁にあらず)を話すお父さんのやってるベトナム料理屋で「まるで我が家」体験(笑)をしたり、まぁ、何かとせわしない1ヶ月間だった。

 連休には「関西着物9条の会」な皆さんと、着物を着てお出かけ。名前だけ聞くと謎の多い会だが、不思議なご縁で一緒に遊んでいただいてる・・・と言ったら失礼かも知れないけれど、とても素敵な方たち。
 着物の着付けはまだまだ未熟で、京都を散策中にベローンと「淀君」状態になったものの、一度覚えるともっと色んなものを試したくなる。ネットの着物販売サイトの「購入」ボタンを思わずクリックしないように、意志を強く強く持たねばなるまい。
 夜は、ご夫婦のご自宅にお邪魔してお食事会をした。雰囲気のいいお部屋で大きめの丸い食卓を囲み、美味しいお食事とお酒と会話があって、日ごろはきついことに出会うことも多いけど、ああ、こういうのを「豊かさ」と言うのだろうなと思う。
 途中、小ぶりな火鉢が食卓に登場し、お肉とイカの干物を焼いていただいた。肉もイカ(特にハラワタ)も美味なり。そして、そのいい感じの火鉢は東急ハンズなどで買えるらしい。さっそく購入して、今後はひとり晩酌+干物で楽しもう!と思ったけれど、皆から全力で止められた。「そのとき」が来たらプレゼントしてくれるそうなので、楽しみにしておこうと思います(笑)。
 
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by bag-tentomusi | 2009-10-15 00:14

PALAU その4

 
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 今回パラオへ出かけたのは、古い友人がそこで青年海外協力隊として活動しているからで、だいぶ以前に年賀状をもらってから、なんだかこの機会に行かねばならない気分になったからだった。
 滞在した3日間のうちの最終日は、友人が協力隊以外でボランティアで教えている「パラオ日本語補習学校」へ見学に行き、午後からは他の協力隊の方のフェアウェルパーティーへお邪魔した。帰りには、隊長さんに無理を言って、隊員が滞在する他の村も見せていただく。海に浮かぶサマーハウス、ぐぅーっと広がる空と海と熱帯の植物と村の家の調和。人が踏み入ることを許さない大自然ではなく、交わることで作られてきた、好きだなぁ、と思える風景。

 友人が日本語学校で子ども達の前に立っているのを見て、ああ彼女は「先生」になったんだな、と思った。
 彼女とは、20歳のある濃密な3ヶ月間をともに過ごしたけれど、様々な年齢層がいた中で「同い年だった」という以外は、実はそんなに交流がなかった。それでも、同じように自分の人生に一生懸命だったように思うし、同じように夢をいっぱい語ってたように思う。大人になればなるほど、友だちであることに年齢差は関係なくなってくるけれど、「人生の同じ時期に同じ時代を共有している」という点において、「同級生」というのはやはり、かけがいのない存在なのだろう。 b0180333_234226.jpg

 彼女は「先生」になることがその頃からの夢だったけれど、「夢をかなえたんだな」とは思わなかった。昔は「夢」は、キラキラとした豪華な衣装をまとって、それこそ天から舞い降りてくるようなものかと思っていた。でもきっとそれは、人生が終わるときに「ああ、これが夢だったんだな」と思えるような種類のものだと今は思うから、私も彼女も「夢をかなえた」なんてことにはきっとならない。

 日本語学校に通っていたのは、両親か親のどちらかが日本人の子ども達。みんなで歌を歌ったりした後は、それぞれの進み具合にあわせて個別指導をする。
 パラオに暮らすようになった理由はそれぞれだと思うけれど、自分と同年代のボランティアの先生たちが子ども達に教えているのを見ながら、「教育」というのは「伝えていく」ことなのだなぁと、つくづく思った。
 私たちが拠り所としてきた価値や感じ方、何をどんなときに美しいと感じるのか。美しいと感じられるから「ことば」があり、「ことば」があるからこそ美しいと感じられるということ。
 教育は、「ことば」を伝えていくことなのだと思う。
 そして私たちはいつの間にか、「伝えていく」側にもなってきているのだなぁと、つくづく思った。
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by bag-tentomusi | 2009-10-14 23:11

PALAU その3

 ガラスマオの滝。

 途中、不思議な植物を眺めたり、川のなかをザブザブ渡ったりしながら歩くこと、40分くらい。
 パラオのジャングルはとてもきれいで、「虫」にほとんど出会わなかった。聞くところによると、パラオはもともと動物(いわゆる獣?)が少ない島なのだとか。以前、石垣島にお住まいの方が「島に牛(いわゆる「石垣牛」)が持ち込まれるまでは、ハエ一匹いないようなきれいな島だった」と話されていたことを思い出した。
 ずっと今のような島でありますように。
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 滝はもう、「楽しかった!」の一言。
 大げさではなく、宝石が空から降ってきているみたいだった。
 そんな滝つぼで泳げるなんて(泳げるんですよ!)、夢のような出来事だった。
 
 帰りは、大きな水溜り(深さ4メートルくらい)?に飛び込んだりしながら帰った。

 帰ってシャワーを浴びたら、のんびり歩いて街へ。中国人がやっている怪しげなマッサージ屋さんで、信じられないような手ほどきを受け、すっかりヘロヘロになった状態でフィリピン料理を食べに出かけ、幸せな気分で虫の音を聞きながら、眠るのでした。

*パラオは、フィリピンからの出稼ぎの人(お手伝いさん)が多いのだそうです。台湾資本もかなり入っているらしく、同じように韓国人、日本人も多かった。
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by bag-tentomusi | 2009-10-04 11:01

PALAU その2

b0180333_031655.jpg ホームステイ先のお母さんはどうやら「ガラスマオ州」の知事さんらしく、お名前を「スギヤマ アキコ」さんという。
 朝、当たり前のようにお母さんがバサッと出してきた土地台帳は、日本統治時代の、日本語で書かれたものだった。パラオ語で書かれたものがなく、いま書き換えをやっているのだと言う。
 今のパラオは独立国なのに、米ドル紙幣が普通に使われている。

 ガラスマオには大きな滝があって、そこに向かう途中、太平洋戦争中の日本軍の鉄柱に出会った。そのまんま、錆びて折れ曲がっていた。 
 ジャングルの中には、ドイツ統治時代に作られたボーキサイト用の線路が残っていて(後に日本軍が使ったらしい)、使われなくなったその線路の上には、大きな木がしっかりと根を張っていた。
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 「負の遺産」でも「正の遺産」でも「恨み」でも「崇拝」でもない次元で、ジャングルの中にたたずむ歴史。
 
 テレビで、オリンピックへの東京招致活動が盛り上がって(?)いたみたい。
 オリンピックを東京でやりたい人たちがいるのは理解するけれど、なんで「国民の総意」みたいになってんだろうか。
 「子どもたち」に、何を残すってか?
 
 私たちの国の64年は、どういう長さなのだろうかな。
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by bag-tentomusi | 2009-10-04 00:33

お引越し

 この前見つけた、あのおうちに引越しをしよう。
 シジュウカラ・ヤマガラ「向き」であって、「専用」ではないみたいだから、
 私でもきっと大丈夫。
 きっとうまくやれる。

 嫌なことを「嫌だ」と言ったら、干されちまった。
 昨日はまた、患者さんと喧嘩しちまった。
 アベチカの自衛隊のポスターの「平和を仕事にしよう」の「平和」って部分を、
 こっそり「戦争」に書き換えたいけど、気が小さくてできない。

 あの小さな木のおうちに引っ越して、
 天気のいい日は小窓から顔を出して、
 世界平和の歌を歌っていたい。
 雨降る日はまあるくなって、
 きれいな言葉ばっかりを集めてきて、
 小さな本をつくりたい。
 秋には赤い実を口いっぱいついばみに出かけて、
 「木の実入りの糞」も、
 大丈夫、きっとうまくやれるから。

 あのおうちに、引越しをしよう
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by bag-tentomusi | 2009-10-03 00:00

賃貸アパート

 奈良を散策中に見つけた、住人募集中のアパート。
 長屋風ではあるけれど、ひとつひとつ独立していて、なかなか住み心地よさそう。
 駅からは少し遠いですが、新薬師寺近くの、素敵な環境の場所です。
 賃料、無料で、超良心的。木造だし。

 しかし・・・果実の実入りの糞は・・・うまく用意できるだろうか?チュン。
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by bag-tentomusi | 2009-10-01 23:18


「知彩庵」より。日々の咀嚼と、紡ぐことば


by bag-tentomusi

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