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生活保護水準見直しについて、怒ってみる

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110420ddm002010048000c.html

 厚生労働省は19日、社会保障審議会生活保護基準部会の初会合を開き、生活保護水準の見直しに着手した。制度の抜本改革に踏み切る意向で、保護費の給付総額削減を目指している。
 厚労省の岡本充功政務官は、「納税の議論が出てくるときに耐えられない制度ではいけない。納税者に一定程度理解される仕組みにしてほしい」と繰り返したらしい。

 おい!何かおかしないか?!
 てっきり、増税もすることだし、生活保護費は何とか現状維持でって話かと思ったら・・・。なぜ、増税のために「納税者に一定理解されるように」保護費を削減しないといけないんだ?だいたい、生活保護受給者だって、消費税も煙草税も酒税も、諸々支払ってますけど?
 もう、その理屈がせこい。せこ過ぎる。

 消費税を(とは書いてないけど)増税することで、生活が逼迫するのは富裕層じゃない。貧困層だ。そしてその「最後の砦」が生活保護。
 増税でヒーヒー言っている人たちや、最低賃金で働く人たちに、「楽して“あなたたちより”お金をもらっている人がいますよ~」とささやく。「ほんとだ!あいつらせこい!」
 弱い者に、さらに弱い者を裁かせる。
 最低賃金との格差が大きいなら、まずは最低賃金を上げることを考えればいい。生活保護費が下がれば、最低賃金は上げなくていいような話になりかねない。
 「自分よりほんの少し得してそうな人」に矛先を向けさせる政府の得意作戦にまんまと引っかかったら、必ず自分の首を絞めることになる。闘うべきは、そこじゃない。
 

 震災が起こってすぐのころ、必ず消費税は増税されるだろうし、「非常時」を盾にして社会保障が削られていくんじゃないかという話を友人たちとしていたのだけれど、やっぱりそうなった。
 復興のための財源は必要だと思う。でも、消費税も、生活保護削減も、弱い者からの搾取だ。それは被災者も含む。
 搾取したいならしたいで、いっそのこと、堂々と言えばいい。
 最低賃金や基礎年金だけで暮らす人たちに、まるで「配慮した」ような言い方で、弱い者同士で争わせるような汚いやり方で、何が、「がんばろう、日本」だ。
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by bag-tentomusi | 2011-04-21 01:04

4.16大阪「原発いらんデモ」

 中ノ島から難波まで。参加人数は、4000人だったとか。

 高円寺での様子をネットで見て、勇気付けられて参加した人はきっと多かったと思う。

 御堂筋は信号が多いので、どうしても列が分断されてしまい、「めっちゃ人多い!」って感じたのは、中ノ島公園くらいか。中ノ島は、デモ出発地点としてはメジャーな場所のようだが、あれだけ集まるのは珍しいんじゃないかと思う。
 
 元運動家っぽいおばちゃんに、「シュプレーコールはないのかしら?!」って聞かれた。
 すんませんねぇ。うちらの世代は、そういうの、ちょっと恥ずかしいんですよ、まだ、ちょっとね。
 
 労組、日の丸、太鼓、ダンス、モヒカン、かわとう、恐いウサギ、かわいいウサギ、入り乱れる。
 山本太郎さんも、参加とか。
 続けることが、大切。

 
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by bag-tentomusi | 2011-04-20 01:04

否認の病

 「原発、やばいんじゃないの?」と、考え続けることに、そろそろ疲弊してきた。
 「原発は安全」「ただちに健康には害はない」「放射能に当たった方がむしろ健康になる(!!)」と思って暮らしてる方が、楽ちんである。否認する気持ち、よく分かる。社会全体で、否認してるんだと思う。

               ★

 『アルコール依存症は別名、「否認の病」と呼ばれます。
 それは、周囲から見て、明らかに問題が生じていても、多くの人が問題を過小評価したり、指摘されると怒り出したり、問題をすり替えたり、なかったことにしたり、煙に巻こうとしたりするからです。
 けれどもこの「否認」は、病気の症状ではなくて、むしろ通常の防衛反応としてとらえることができます。否認をする人のほとんどは、問題が起こっていることを薄々は感じています。だからこそ、それがアルコールのせいだと受け入れることが難しいのです。何より「アルコールなしで生きていく」ことへの恐怖は、ますます否認を強くさせます。
 かつて、アルコール依存症は「底つき」をしないと回復しないと言われていました。しかし、人間には「底」なんてありません。あるとしたら、それは死です。何もかも失っても、失えば失うほど、周囲を巻き込みながら、さらに深い底へと落ちて行きます。
 今、アルコール依存症からの回復を考える上で必要なことは、本当の「底つき」を待つことではなく、「ここが“自分にとっての”底だ」という気づきを促すことにあるという流れになってきています。
 ある回復者の方が言っていました。「失いたくないものが残っているうちの方が、アルコールはやめやすい」と。自分にはアルコール以上に大切なものがあるのだと気づいたとき、現状を受け入れ、否認が自然に解けることは多くあります。否認を続けているうちは、回復はありません。
 
 また本人や周囲の者にとって、本当に問題にすべきことは、本当は「アルコール」そのものではありません。アルコールによってもたらされた「問題」の方にこそ焦点を当てる必要があります。そしてもし、その「問題」と「アルコール」の間に何らかの関係があると感じるのであれば、一度アルコールをやめてみる価値はあるのかも知れないのです。これが「気づき」です。
 先ほどの回復者の方の言葉には、続きがあります。
 「・・・けれども、大切なものは、アルコールを続けているうちは分からなかった」。
 いいことも悪いことも含めて、やめてみて初めて見えてくることは、たくさんあります。』

               ★
 
 あえて「アルコール」を「原発」に置き換えて、考えてみる。

 現状と向き合わない方が楽だ。人間は、いくらでも「底」へと落ちていける。死ぬまでは。
 
 先人が伝える、「やめる」ために大切なこと。
 気づくこと、受け入れること、謙虚であること。
 
 今ここを、私たちの「底」にできるように。
 

 
 
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by bag-tentomusi | 2011-04-20 00:41

生きてる奴らが声出せよ byランキンタクシー

『緊急 原発いらん!関西行動』

ところ中之島公園(女神像エリア)

集会3:30~4:10

デモ4:10~5:30

御堂筋南下淀屋橋-本町-心斎橋-ナンバ

(体力に応じて可能な限り歩こう家族連れでぜひ)

(鳴り物、プラカード、横断幕等持ってきて下さい)

です。


 いや、別に私、デモが好きなわけではないんですが、東京まで行っておいて、ホームをスルーするのもどうかと思われるので、子連れ友人とともに参加します。
 皆さん、一緒に歩きませんか?

 高円寺のデモの後に、たくさんの人がツイッターで引用していたガンジーの言葉「あなたのすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」。確かに、今はそれが一番しっくりくる言葉かも。変えられてたまるかい。

 1万5000人もの人が集まったのに、大手メディアはほとんど無視。イラク戦争のときに若者が集まったときは、取り上げたくせに。これは国内問題なのに。
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by bag-tentomusi | 2011-04-15 01:07

高円寺1万5000人「原発やめろデモ」

 日曜日に、東京は高円寺で行なわれた「原発やめろデモ」に参加した。帰ったその日にでもブログに書きたかったのだが、「朝から新幹線→デモ→夜行バス→朝から仕事」という、学生時代以来くらいの強行コースで、ヘロヘロになった。加齢には勝てぬ。ようやく今日、ブログに書き込むことになる。

 今日は休日で、暖かな春の光が差し込んでくる。春らしい春が来た年は、久しぶりのような気がする。近くの神社で法要があるらしく、鐘の音が聞こえてくる。庭には、同居人が育てているチューリップが、まさに今を盛りに咲き誇っている。窓を開けて昼寝をしていたら、夕ご飯の時間になった。
 この長閑さと、福島で起こっていることとの整理が、どうしてもつかない。一見何でもないこの景色が、放射能に侵されているとしたら・・・?昼寝しながら想像してみるが、よく分からない。被災地に戻ることもできない人達のことを考えると、とても感情的になる。
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 高円寺で4月10日に行なわれた「原発やめろデモ!」。これは、結構でかいデモになるんじゃないかなと予想していたが、1万5000人が集まったらしい。すごい!!

 朝から新幹線に乗り、高円寺駅へ集合。時間があったので、友人とイングリッシュティーのお店で茶をしばく。デモとか言っても、ゆるゆるですわ。
 そして2時に、会場である公園(そんなに大きくない)に行ってみる。茄子(なぜ?)の着ぐるみの外国人のお兄さんとか、チンドンヤ風のお姉さんたちとか、竹馬に乗ってやたらデカイ怪しげなパフォーマーとか、色んな人たちがいる。手作りのプラカードや旗が多い。バンドの演奏があったが(実は3分の1くらいはそれが目的での参加でもあった)人だかりの多さに、全く見えず。ハッと後ろを振り返ると、公園は溢れかえり、道路にはみ出し、近所のビルなどから覗いている人も多数。会場にいるであろう、別の友人とも会えず、一時は携帯も通じない状態。何か、想像以上にすごい。
 数名からのアピールがあり(見えない)、ランキンタクシーが20年前に作ったという歌がサウンドカーから流れるのに声をあわせながら、のろのろと会場を出発して歩き始める。しかしこれがまた、人が多くて、なかなか出発できない。
 ランキンタクシーは、「生まれてくる子どもに恨まれるなんて、イーヤーイーヤーヨー」「豊かで不健康な暮らしなんてイーヤーイーヤーヨー」と歌っているのだけれど、ほんとにイヤだ。
 「自分も内心は戦争に反対だったけど、あの時代はそんなこと言える時代じゃなかった」なんてのうのうと言う祖父母世代を私は好きじゃないし、社会運動をしてきたような顔をして、平気で高度経済成長の恩恵を受けてきた父母世代も好きじゃない。大学生くらいのときは、「お前らはちゃんと闘ったんか?」と、やたらムカついていた。でも気づいたら私たちはもっと最悪で、子どもたちに恨まれ続けることになるかも知れない。今回、それぞれの人が思い思いのメッセージを掲げて歩いていたけれど、Tシャツに『娘1歳』と書いているお父さんがいて、すごく印象に残った。その娘が大きくなったとき、私たちは、どんな未来を残せるのだろうか。
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 なんてまぁ、ときどきシリアスな気分になりながらも、キヨシローの反原発ソングを歌ったり、斉藤和義の「ずっとウソだったんだね」を歌ったりしながら、楽しく歩いた。1万5000人の隊列は永遠続き、警察官はどんどん増員され、通行人なども加わり、最終地点にたどり着いたときにはすっかり日も落ちていた。なんでも第1陣が着いてから2時間後くらいだったらしい。
 今回のデモがすごいところは、参加者のほとんどが20代から30代の若い人たちや子連れの人たちで、デモ初体験で明らかに個人参加の人たちだったことだと思う。誰も「デモ慣れ」してないから、シュプレーコールみたいなのもなく、面白くて、そこに文句を言う人たちもいるだろうけれど、私はそれでいいと思うし、大切なことだと思う。原発は自分たちの問題だし、それなら楽しくなくちゃ続かないし。

 今回、わざわざ東京まで行くことは、当然かなり迷った。私が行ったところで何か変わるわけじゃないし、完全に物見遊山だし、「交通費、募金したら?」と言われたら、そりゃあ、そうだ。
 でも、行って良かったと思う。
 大阪にいて、職場などで震災のことが話題に出ることはあまりない。何て言語化していいのか、分からない部分もとてもある。でも私は、何もなかったかのように日常が過ぎ去っていくことが、とても恐く、とても気持ち悪い。日曜日に、同じように色んな思いを抱えて集まってきた人たちが、こんなにたくさんいるのだということは、とても勇気になったし、デモでなくても「集まる」こと(「群れる」ではなく)は、大切なことだと思えた。
 「わざわざ来たの?」とからかいつつも、仲間に入れてくれた東京の友人たちに感謝。

↓詳しい様子は、こちら
 http://www.magazine9.jp/matsumoto/110413/

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↑ずらりと警察官。ご苦労さんです。彼らにとっても今回のことは当時者性は高いはず
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by bag-tentomusi | 2011-04-14 00:00


「知彩庵」より。日々の咀嚼と、紡ぐことば


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