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お詫びと訂正

・『祝島4』で、中電が今後も原発建設を進めると回答したのは、「4月末」ではなく「3月末」でした。

・『祝島3』で、棚田の高さが「30メートルはある」と書いてますが、どうも一番高いところで9メートル、それが確か3段あったと思うので、全体で30メートルくらいだと思います。
そうすると、神様舟も、「30メートルくらい」と書いてますが、10メートルくらいかも知れません・・・。
両方とも、あまりに高く、大きく見えたので、大袈裟なことを書いてしまいました。

お詫びして、訂正いたします。すみません。

なお、ここで書かせていただいたことは、私が見聞きしたことをもとに書いていますが、あくまで旅行記ですので、興味のある方はぜひ、ご自身でいろいろと調べてみてください。
よろしくお願いします。
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by bag-tentomusi | 2011-05-17 21:57

祝島4

 昨日ようやく、纐纈(はなぶさ)あや監督の映画『祝(ほうり)の島』 を観た。
 立ち見になったら嫌だなと思って、開場と同時に行ったのに、ガラガラ・・・。結局10人くらいの観客で、ほとんどが何て言うか、「以前から生協活動してそうな」おばさまたち(偏見すみません)。うーむ。いいんですけど、同年代、求む。
                            ↓ 奥に見えるのが、建設予定地
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  淡々と続く、ありふれた日常。
 「原発がいかに恐ろしいか」ではなく、「そこがいかに美しいか」。
 そんな視点に立った映画だった。
 そして島の人たちの視点も一貫して、それと同じなのだと思う。
 「中電が来て、かしこなった」と言う彼女たちは、闘うためにたくさんの知識や理論を学んでもこられたのだろう。けれども、30年間も続けてこられた原動力、私が島で見つけた「なぜ」の答えは、「ここがいかに美しいか」、きっとそれにつきるのだと確信する。
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 旅行中、徳山から周防大島へ向かう道の十字路で、「上関原発反対」の旗を持って行きかう車にずっと頭を下げ続けている2人の男性に出会った。5年前から毎日、ただひたすらそこに立ち続けているのだと言う。
 映画の中では、島の女性が唇を震わせながら埋め立ての作業員に叫ぶ。「あんたら、命がけで何かをしたことあるか」と。
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 実際、上関町では祝島漁協を省くすべての漁協が、莫大な補償金をすでに受け取ってしまっている。勝手に口座に振り込むという姑息な手を使われながらも、すべてを突き返してきているのは祝島漁協だけだ。ところが最高裁はこれに関して、「他の漁協が受け取ったのだから、祝島も受け取ったも同然」といった判決をしたという。
 それでも映画のなかで島の人は言うのだ。「原発によって、町が引き裂かれたことが一番悲しい。反対派も推進派も、本当は同じ思いでいると思う」と。
 また、祝島意外の地区では町議選があると、反対派の演説には誰一人として応援に出て来ないとという。一方で推進派の演説には人だかりができるのだが、いざ投票をしてみると、ずっと多くの原発反対の票が入るのだそうだ。表立って「反対」は言えない空気があるのだろう。過去には、選挙のために中電によって不正に転入届が出されたり、投票所に黒服の男たちが見張りに立ったりということがあった。このあたりは、「はまや旅館」さんのロビー?に置いてあった写真集、『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』(那須 圭子 創史社 2007)が詳しい。そんな、ヤクザまがいのことまでして建設しようとする原発が、ろくなものだとは、とても思えないのだが。
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 先日のチャリティーフェスで、海援隊の武田鉄也が『母にささげるバラード』を歌う前に、彼自身の姉が神戸で被災したときの母のエピソードを紹介していた。武田母は、「私らは日本が戦争に負けた日も、ただ黙々と働いた。それが今の日本をつくってきた」と、姉を叱咤激励したのだそうだ。これは震災後、何かと聞かされる話でもある。「日本人は、どんなときも働いて、復興を成し遂げてきた」と。
 祝島のお母さんも、それと同じような、でもちょっと違うことを言っている。
 「私たちは戦争に負けて苦しいときも、この海と山のおかげで、生きてくることができた」と。そして「私たちもそうして守ってもらったのだから、子や孫にも同じように残してあげたい」と。

 山口県知事は2008年、中電に対して田ノ浦の埋め立て許可を出してしまった。
 そして、3.11。
 工事は一時中断したものの、今も「地質調査」という名の発破作業は続いているという。3月末には中電は、「工事は今後も継続していく」という回答を示したそうだ。「ますます安全な原発を・・・」
 「そんなこと、福島の人らを目の前にして、同じこと言うてみい」と原さんは怒っていた。
 あんたらにも、故郷があるやろう、と私は思う。

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 祝島の人たちは30年前から休まず、毎週月曜日に反対デモで島内を歩いている。

 「政府は、私たちが死んでいくのをただ、待っているとしか思えません」
 そう言った元従軍慰安婦のハルモニ(おばあさん)がいた。彼女たちも毎週水曜日に、日本大使館前に立ち続けている。
 今回、私はかつて出会ったハルモニと島の人が重なって仕方がなかった。
 国や電力会社は、高齢化した島で、島の人たちが死んでいくことをただじっと、待っているように思えてならない。
 
 彼女たちが子や孫に命を張って残してくれたものは、「彼女たちの海と山」だけではない。
 
 そして子や孫とは、私たちのことだ。
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by bag-tentomusi | 2011-05-17 02:26

祝島3

  柳井港を、3時40分発の高速船に乗った。

 「渡し舟」みたいな船が好きだ。こういう小さい船がたくさん走っている世の中は、いい世の中のような気がする。
 船の中で、「私、柳井市の出身で祝島出身の友だちもいるけど、一度も行ったことがなくて。福島の事故をきっかけに行くことにしました」というお姉さんに出会った。GWでちょうど東京から帰省しているのだそうだ。旅行者と思しきは、私とそのお姉さんのみだったが、途中からたくさんの人が荷物を持って乗り込んできた。新品の冷蔵庫も積んである。
 高速船は室津半島の海岸線沿いに、いくつかの港に立ち寄りながら進む。午後の低い日差しを浴びた半島をぼんやり眺めていると、やがて船は外海に出る。それから5分くらいでスピードが落ち、到着した先が祝島だった。
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 港に着くやいなや、航行中から「早く。早く」と嬉しそうにしていたおばあさんが、転がるように下船していった。
 船を下りると、すぐ目の前にそびえ立つ山が目に入る。本当に平地は少ないんだなぁということが、一目瞭然。そこにへばりつくようにして集落が広がっている。
 GWでちょうど帰省の人が多いようで、港は賑わっていた。夕暮れの中、子どもや家族連れがのんびり港に集まって来ている。あまりに普通に皆が歓迎しているものだから、誰が誰の出迎えかちょっと分からない。それがとても温かい光景なだけに、途端に自分が旅行者なことを思い出して少し寂しくなる。新品の冷蔵庫は台車に乗せられて、おばあちゃん数人が「これが、祝島のええところじゃあ」と言いながら運んで行った。
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 翌朝は、「はまや旅館」さんで朝ごはんをいただいたあと、まずは島を向かって左回りに歩いてみる。「平さんの棚田」があるらしく、これはぜひ行ってみるといいと原さんから聞いていたのだ。「米さえあれば生きていけるから」と言った平さんのおじいさんの代から3代に渡って、人の力だけで石垣を積み上げてきたものだという。それをめざして歩いてみることとする。
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 神社の横の坂道をだいぶ登ると、お墓が見えてきて、目の前の景色が一気に広がる。
 亡くなった人たちはきっと、島一番の眺めのいいところで安らかに眠っているのだろう。そこから見える瀬戸内海は、本当に素晴らしかった。まだ午前中なのに海はキラキラと光っていて、朝から漁に出ている祝島の漁船の塊が見える。その先には田ノ浦のある四代や、小さな島々がずっと先まで、蜃気楼のように浮かんでいる。
 自分の立っている島の緑と海と、向こうの島影とそれにつながる空と。あまりに神々しくて、少し泣けた。
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 祝島はびわが名産なのだけれど、海沿いにはびわの段々畑がずっと続いていた。今の時期は、一つ一つのに紙のカバーをかぶせた状態になっていて、その紙袋がオレンジ色なものだから、とても畑が賑やかに見える。そこに色とりどりの野花が、まさに花を添えて、海のブルーとのコントラストが素晴らしい。それにしてもこの斜面で一つ一つ被せていくのはさぞ大変な作業だろう。
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 そうして歩き続けること2時間弱。いきなり「平さんの棚田」が現れた。10メートルくらいの石垣が実に3段、見事に積み上げられている。思わず、「えー」と叫ぶ。すごいとは言っても、親子3代が人力で積み上げたのだから、まさかここまでのものとは思っていなかった。
 この棚田で、海がやさしい日も厳しい日も、この海を眺めながら、お米を作って生きてこられたのだ。それは、どういう気持ちのすることなのだろうか。
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 島は残念ながら、1周することができないので、棚田まで行って町へ引き上げてきた。
 町は細い坂の路地がうねうねと続いていて、立派な石壁も残っている。路地好きにはたまらない道である。
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 一方、港ではおじさんが、大きな木をカンナで削っている。
 もしかしてこの人は、原さんに聞いていた「島で唯一の船大工」さんではないだろうか?島では今でも木造船が現役で使われていて、船大工さんがお一人だがまだ、おられると原さんは言っていた。
 一とおり見学したあと、「船を作っているんですか?」と聞いてみる。
 「ああ。船」
 「何の船ですか?」
 「これは、テレビ用」
 どうやら、来年のNHK大河ドラマで平清盛が乗る船を作っているのだのだと、周囲にいた人たちが教えてくれた。NHKがわざわざここまで依頼に来るということは、船大工さんは本当に、数が少なくなっているのだろう。
 おじさんは墨つぼを片手に印を打っては、カンナでシャッシャッと木を削っていく。じっと見ていて飽きない。
 おじさんの周りにも、たくさんの見学者のような手伝いのような別のおじさんたちが集まって来ていて、のんびりと昼寝をしたり、ときどき手伝ったりしていた。磯の香りを嗅ぎながら、波の音とカンナの音をBGMにした昼寝は、気持ちよかろう。
 
 祝島では4年に一度、「海舞」というお祭りが行なわれる。これは9世紀末、京都の石清水八幡宮から分霊を持ち帰ろうとして瀬戸内海を航行中だった国東半島の人々が、台風で遭難してしまったところを、祝島の人たちが助け、丁重にもてなしたことに端を発するお祭りらしい。それ以来、49キロ離れた国東半島から4年に一度、島に感謝の神楽を奉納するために神様船で渡ってくるようになったという、何とも「感謝の応酬」のようなお祭りなのだ。
 船大工さんにうかがったところ、それをお迎えする神様船もやはり作っておられるとのことで、倉庫にしまってあるのを見せていただいた。10メートルはあるであろう、立派なものだ。同じ倉庫には、「原発絶対反対」の旗がひっそりと、でも真新しく、しまってあった。
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 最後は、今度は右回りに島を歩いてみた。
 途中、はっと顔を上げると、豚さんたちがお出迎え。原発の問題が浮上してから島では、持続可能な循環型の農業も模索されているとのことで、休耕田で豚を飼っていると聞いていた。豚たちが土地を掘り返すことで土地を開墾することが出来るそうだ。そういえば、町では「ありが豚」と書かれた生ごみ回収箱があちこちに置いてあったし、朝にはリアカーで生ごみ収集に回っているおじさんがいた。あれは、豚さんの餌だったのだ。
 お互いに少しびびりながら見つめあっていると、おばちゃんが「ぶーちゃん。ぶーちゃん」と言いながら自転車で颯爽と現れた。そして餌(生ごみ)をばら撒き、豚たちが満足げにたいらげているのを見届けると、颯爽と去って行った。豚はとても元気そうだ。
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 祝島の隣りには、小祝島という小さな島が引っ付いていて、夕方はそこまで歩いて宿に引き返した。夕食は、6時から、魚づくし。あまりに美味しくて、ご飯を3杯くらいおかわりした。

 もうすぐ日が沈もうとしている。あと30分もすれば太陽は赤く燃えだすだろう。その少し手前の太陽が小祝島の横に落ちて、神様が降りて来るんじゃないかと思った。光の階段を降りて、恵みの海をすすっと歩いて、この美しい島まで、神様がやってくるんじゃないかと思った。
 「原発絶対反対」の大きな文字も、太陽は照らしていた。
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 翌朝、6時45分の高速船に乗って、祝島を後にした。
 早朝にも関わらず、船は多くの人が乗っていた。中学へ行く女の子もいた。

 結局、原さんが「話を聞いてみるといい」と紹介してくださった町の世話役のような方のところは、訪ねては行ったものの、うまくお会いすることができなかった。
 でも、今回はそれでよかったと思う。
 私は祝島の人たちが、なぜ30年間も、それこそ身体を張って、10億円という大金さえもつき返して、反対を貫きとおすことができたのか、それを知りたいと思っていた。
 でも、たった2日ほどだけだけれども島をブラブラと歩いてみて、とてもばかげた質問だったなと思うようになった。だからいきなり訪れてそんなことを聞いてみる勇気は、とっくになくしていた。
 でも、「なぜ」なのか、それはとてもよく分かったように思う。
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 滞在中、30年ほど前に祝島中学校(今はない)で美術を教えておられたという大井しげる先生が、展覧会とコンサートを開いておられたので参加してみた。
 ちょうど帰省していた元教え子さんたちも集まっていて、島の人しか分からない話題を歌詞にした歌などが歌われ、こじんまりとした温かい時間が流れていた。
 最後に、先生が作詞された歌が紹介された。「祝島だけじゃなく、今は日本中への想いとして」と。
 島では桜の花びらが、物干し竿にぶら下がった干し魚のかごの中に舞う。
 そんな風景が先生は、とても好きだったのだそうだ。

 『やさしい風-ふるさとの空と海』
 
 (中略)
 ネコがぽつんと つぶやいた
 干し魚見上げ
 おいしい魚をいつまでも 
 いつまでも食べていたいと
 
 (中略)

 ふるさとの空と海 やさしい風が吹く
 もの干し竿のかごの中にも 桜の花びらヒラヒラ
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 ↑ 山肌が削られているところが、上関原発建設予定地 
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by bag-tentomusi | 2011-05-16 00:59

よー!

 五月晴れ。
 朝、駅に向かう途中の道で、ほお被りをした友人に出会う。
 彼女は寺内町で雑貨屋を始めるらしく、古い家を改築中だ。
 特に急ぐわけでもない休日の朝。のんびり家を見せてもらいながら世間話をする。

 まだ何も整っていない店内の奥に置かれた椅子と机。
 なんと映画的な光景だろうか。この椅子に腰掛け交差したたくさんのほろ苦い人生の物語が、これだけで幾とおりも想像できる。
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 今日は、万博記念公園にて行なわれた『東日本大震災チャリティーコンサート What a Wonderful World in KANSAI』へ出かけた。藤井フミヤや渡辺美里、加藤登紀子、スキマスイッチなどの参加もあり、なかなか豪華メンバーである。そしてなんとトリは、海援隊。武田鉄也に「3年B組!」といきなり言われて、「せんせー!」と叫ばなくてはいけないとは、予想だにしなかった。
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 個人的にはただの「チャリティーフェス」ではなくて、個々のアーティストがもっとそれぞれのメッセージを発しても良かったんじゃないかと思うけれど、「とにかく義捐金を集める」という意味では、それはそれでありだろう。会場に全く一体感を感じられなかったことも、逆説的だが好感が持てた。
 とにかく、お天気もよく、レジャーシートを敷いてウダウダと、あっという間の楽しい5時間だった。


 そして夜は、友人の友人であるベトナム人のチーさんのお誕生日パーティーへ乱入する。
 会場であるベトナムからの研修生(?)が3人で暮らされている小さな一軒家に入ってみると、床にビニールシートが敷いてあり、豪華な手作りベトナム料理が所狭しと並んでいる。さらに新しいものも、どんどん出来上がってくる。どれもこれも「男の料理」だ。そして、ほぼ20代の若いベトナムからの研修生や留学生などの男子たちが、どしどしと詰め掛けてくるではないか。
 「よー」(乾杯!)を何度もしては、ビールを飲むわ飲むわ。さらに、ショットグラスでウイスキーをまわしては、二人でその杯を空けていく。そして目の前のベトナム料理がまた、めちゃくちゃ美味しい。

 彼らが話している言葉は、全く分からないけれど、おもしろおかしくて笑う。日本にいながら我々3人は「超アウェー」な感じだったけれど、とても自然に仲間に入れてもらって、ものすごく楽しい時間を過ごさせてもらった。


*時系列が無茶苦茶ですが、祝島へ行ったのはGWの話です。それに関しては続きをまたアップします。
 
 
 
 
 
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by bag-tentomusi | 2011-05-15 02:02

祝島2

 
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 祝島は、山口県柳井市から突き出た室津半島の先っぽに位置する、人口500人に満たない小さな島だ。
 関西から瀬戸内海を通って九州に抜ける航路では、最後の寄港地にあたり、古くは万葉集にも登場する。
 瀬戸内海国立公園に点在する大小1000の島々のうちのひとつである。

 今回は祝島への上陸前に、そんな瀬戸内海の島々でのシーカヤックに挑戦することにしていた。
 祝島の周辺をフィールドにしている「DAIDUK OCEAN KAYAKS」の原さんにお願いして、友人とともにまずは海をのんびり漂う計画。なんて素敵なんだろう。

 原さんは、アマゾンやアラスカをカヤックで冒険してこられた経歴を持ちながら、現在はカヤックのガイドや、ap bankの助成を受けた「子どもの学校」の企画などを瀬戸内海でされている。そして海の仲間に声をかけて、祝島の人たちと一緒になって、田ノ浦海岸を原発建設と埋め立てから守る活動をしている方でもある。カヤックのツアーを選択する基準がよく分からなかったが、直感で「ここしかないでしょう」と思って勝手に申し込んだ。友よ、許せ。

 1日目の朝7時。徳山市内のビジネスホテルに原さんが、カヤックを2艘ひっつけた車で迎えに来てくださる。ちなみに、車はバイオディーゼル車。私も友人もシーカヤック乗りと聞いて、何となく勝手に「初老」なイメージを持っていたのだが、原さんは日焼けした普通にかっこいい若いシーマンであった。失礼。
 ここから車で1時間半ほどの周防大島が、本日のフィールドらしい。

 車内で原さんより、「今回はカヤック以外に予定があるのですか?」と聞かれる。
 「えっと、私はこの後、祝島へ行ってみる予定です」と伝える。すると原さんの目の奥がキランと光った気がした。
 「え、“そういう方”なんですか?」
 「いやー。“そういう人”というわけではないんですが・・・」
 「そういう人」って、なんや?と思ったけれど、きっと「そういう人」がよく来るのだろう(だから、そういう人って、何だ?)。
 「祝島と言えば反原発」というイメージはあると思うし、それを島の人たちはどんなふうに受け止めているのだろうかと思う。

 シーカヤックは、周防大島の小泊というところから出廷した。
 あいにくの曇り空と黄砂で、視界がよかったわけではないけれど、ベタ凪の海をすいーっと進んでいく感覚はとても気持ちがよい。遠くにまるい島影が見えて、「あそこまで行ったらどうなるんだろう?」という気になる。カヤックで冒険する気持ち、分かる気がする。
 しかしベテランの皆さんと比べて私たちの船(二人乗り)は操縦が下手で、蛇行を繰り返し、無駄な体力を消費しながら進むこととなる。同乗者である高校の部活時代からの友人と、久々に「もっと右」「もっと左」「あんたが悪い」と、やかましく毒づきあいながらの珍道中であった。ケツの穴まで見られたような古い友人は、遠慮がなくて良くない(笑)。
 途中、浜に上陸して火をおこしてネパールカレーを食べ、無人島に上陸してゴロゴロといた岩牡蠣を食べ、何とスナメリまで目撃して、1日の航海を終えた。

 周防大島への道中、原さんは祝島のことをたくさん話してくれた。
 そして島の世話役のような方に電話をしておくから、そこを尋ねて聞いてみるといいと言う。
 私は祝島を描いた映画『祝の島』も『ミツバチの羽音と地球の回転』も、まだ観ていないことを伝えると、「普通と順番が逆だけど、僕はそっちの方がいいと思う。先入観なく島を見たほうがいい」と言っていだだき、少し安心した。

 その日は、三丘温泉の健康ランドのようなところで宿泊。温泉に入って、ビールを飲んで、意外に美味しかった夕食をたらふく食べる。
 ふかふかのお布団に寝転がると、まだ海の上に浮かんでいるみたい。ふわふわとした心もちで、気持ちよい眠りに落ちる。
 
 友人とは明日、岩国で解散。その後、私は船で祝島へ上陸予定。
 
 乳白色の海の上を飛んでいるような夢を見る。
 
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↑ バーデンハウス三丘のキャラクター。ものすごい暑そう・・・。
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by bag-tentomusi | 2011-05-13 00:44

祝2周年

 閑話休題。
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 日曜日は、仕事から帰ったら同居人たちがパーティーの準備中。
 ありがたや。ありがたや。
 もうすぐ追い出されるシェアハウスではありますが、それによって出来たつながりもあり。
 人生、塞翁が馬。
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 祝島レポートは、もうすぐアップします。
 書きたいことがあるのは、幸せなこと。
 例え、1日10数件のメディアでも。
 
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by bag-tentomusi | 2011-05-10 00:00

祝島1

 
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そもそもGWに祝島へ行こうと思い立ったのは、「言い訳」みたいなものだ。
 
 今年のGWは同僚に全く配慮せずに(笑)4連休をとった。被災地へ行くことを考えたが、現地で活動しているNGOの友人から「GWは外した方がいい」と言われ、それもそうだろうと納得する。仮に個人で行くとして調べてみたら、関西から東北はとにかく遠い。高い。あぁ、そういう距離感なんだなぁと思う。
 
 じゃあ、というわけで「祝島」というとてもきれいな名前を持つ島へ行ってみることにした。
 とても美しい島だと聞いた。関西からも近い。そして、島の目と鼻の先に中国電力が上関原発を建てようとしている場所でもある。

 私の原発との最初の出会いは、大学生のときに行った福井県の長浜原発だ。そのすぐ近くの民宿で1ヶ月ほどバイトをしていて、昼休みにチャリを借りてあちこち遠出していたときに、門の前まで行ってみた。その不気味な感じは今でも覚えている。
 当時の私は、広河隆一さんのチェルノブイリの写真や講演なんかに触れて、何かとんでもないものだという感覚はあったので、きっと住民たちは大迷惑してるんだろうと思っていた。ところが民宿に帰って話してみたところ、何だか微妙な空気になった。住み込み先は息子さんが二人いるのだが、次男さんは原発で働いているという。長男さんは農協。かつて長浜は大阪からの泊まりの海水浴客で賑わった場所だが、高速道路ができたおかげで皆が日帰りで帰るようになった。だからお父さんとお母さんが切り盛りしてきた民宿だけでは、食えなくなっているというのだ。
 私たちにとって「便利」なはずのものが、彼らの生活を少し狂わせているのか、という驚きを覚えたまま、その話は何となくタブーになった。その大阪から来た者が、原発で働いている人を目の前にして、軽々しく「原発はあかん」と言える気がしなかった。
 そのときから私は、今でも、原発はエネルギーの問題というよりも、もっと根の深い経済の問題なんじゃないかと感じている。

 長浜原発はとても真っ白で、冷たい感じがした。表玄関には誰もいなかった。
 その後も1ヶ月、毎日遠出した若狭の海と地形は、それはそれは美しかった。私が「今日はここに行った」と報告するたびに、お母さんは「えー、そんなとこまで」とびっくりするので、調子に乗ってあちこち行った。まだあるかな、民宿甚平衛。


 祝島は1982年、中国電力が対岸4km先に原発を建設する計画を持ち出してから、一貫してずっと反対運動をしてきた島だ。30年間ずっと。
 「私らは、この海と山があったから生きてこれたんじゃ」「みんなの海じゃ」「海は売れん」と叫んでいる映像を見て、何つうカッコいい人たちなんかと思った。
 友人は「私も自分のことになったら、反対すると思うけど・・・」と言う。でも、きっとそんな簡単なことじゃないと思う。
 原発銀座を受け入れた若狭の人たちだって、決して故郷を売ろうと思ったわけではないだろう。自分のことに置き換えても、生活に密着すればするほど「おかしい」「嫌だ」と言い続けることは、とても疲弊するし大変なことだ。良心のままに“続ける”ことは、実は簡単なことではないということを、私も何となく分かる年になってしまった。しかしそれを、続けている人たちがいるという。
 今、遅ればせながら、まずは行ってみようと思った。
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by bag-tentomusi | 2011-05-02 00:00


「知彩庵」より。日々の咀嚼と、紡ぐことば


by bag-tentomusi

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