休暇の終わりに

 明日から、東北へ行くことにした。
 「東北へ」ってくくってしまうあたり、東北のこと全然知らないんだなぁと、思う。
 地図を眺めたら、ものすごく広い。

 今回も、昨年7月にお世話になったボランティアセンター「遠野まごことネット」さんで、もう一度お世話になってみる予定だ。
 前回は仕事もあり、たった2日の滞在で、何だか消化しきれないままだった。今回は少なくても4日は滞在する予定なので、多少は飲み込めるものがあるかも知れない。

 休暇が残り少なくなってきて、周囲は「海外旅行でも行くんでしょ?」と言うし、自分もそのつもりだった。
 でも、灼熱の太陽も、ムッとした亜熱帯の空気も、大好きで中毒みたいになってた時期もあったんだけど、今は何となく身体に当たりそうで。

 関西に暮らしている者にとって、東北はつくづく遠い。
 今のように意識しなかったときには、「同じ日本だし、いつでも行ける」と思っていた。ところが、いざ調べようとすると、当たり前に広くて、多様で、そして遠い。
 例えば九州や四国、中国、山陰は、親戚がいたり出身者が身近にいたりするので、何となく「分かる」んだけど、東北のことは全然知らないし、身近に見当たらない。日本は狭くなったと言いながら、いかに自分は、「西」の文化圏で暮らしているのかがよく分かる。「関西人」の自分と、「東北人」の誰かは、もう、決定的に「違う」のだと思う。

 だけど、「違う」んだな「遠い」んだな、と気づけたことは、良かったんじゃないかという気もする。
 私はほとんどテレビを見ないけれど、それでも感じる3.11をめぐる「美談」の違和感は、「みんな同じ日本人じゃないか」的なところに立脚してるからじゃないかと思い至る。「相手の痛みが分かって当然」のような錯覚。でも、それをしている以上、理解不能はものは切り捨てられる。中途半端に「同じ」だと思っているから、うっかり「反原発集会」で「関西の子どもだけは守りましょう!」なんて、口をすべらせてしまう。
 もう、たぶん、関西人と東北人は、別人種だと思う。
 韓国より遠いし、メンタリティーも違うんだと思う。
 それで、違うんだ、遠いんだ、知らないんだ、ということを、もっと素直に認めた方が、たぶんいいんだと思う。
 違う、遠い、知らないと自覚して初めて、人は「知ろう」とする。

 そんなわけで、休暇の終わりに、まだ寒い東北の地へ。
 自分なりに自分の目で、出会ってこようと思う。
 この時代を生きたという「証」が私は欲しくて、。その「空気感」をまとってみたくて。

 そしたらまた、自分の小さな持ち場で、目の前の人に必死になることが、赦される気がする。
 「ここ」と「そこ」は、必ずどこかで繋がっているから。 
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# by bag-tentomusi | 2012-03-21 02:14

『ヒロシマ・ナガサキ ダウンロード』と3.11

 3月11日。

 午前中、中ノ島公会堂での「さよなら原発 関西1万人行動」へ参加。
 福島県飯舘村で酪農を営んでこられた長谷川健一さんが、故郷の村が原発事故によって、どのように変えられてしまったのか、村人の生活から何を奪ったのか、どんな対応がなされたのかを、語ってくださった。
 午後は扇町公園で行なわれていた別の集会へ顔を出した後、友人たちとおしゃべりをしたりして過ごした。

 そして夜は、梅田の雑居ビルにある小さくて素敵なバー「ぽれぽれ」で黙祷をした後、映画『ヒロシマ・ナガサキ ダウンロード』の上映会だった。

 『ヒロシマ・ナガサキ ダウンロード』は、様々な理由から戦後、北米に移住した被爆者の方々の証言を、30歳の監督とその友人が訪ね歩いて集めたロードムービーのような仕上がりになっている。
 インタビューされた在米被爆者の方たちは、初めて体験を他人に話したという方も多い。その感情の波に圧倒され、体験を聴いた後にお互い「お疲れ」と声をかけあい、「よく頑張ったと思うよ」と慰めあう監督たち。聴いた体験に対して色々と説明を加えてみるのだけれど、それを「うまく理解できないことが悔しい」と涙を流す。
 正直なところ、在米被爆者たちが置かれてきた歴史的背景や、おそらくはあったであろう、かつての敵国に生きる葛藤に深い洞察があるわけではなく、ただただ「個人の壮絶な体験と溢れ出る感情に圧倒される若者」という印象から、脱することができなかった。
 ただ、彼らが最後に「今は言葉にしたくない」「これまで俺らは、言葉にすることで逃げてた」と語り合う。この映画の本質は、きっとこの部分に集約されているのではないかと、思った。
 在米被爆者の方の体験を集め、そこに「意味=言葉」を見出そうと意気込んで車を走らせた2人の若者の帰着点が、「言葉にしたくない」「言葉にすることで逃げてた」。-それは赤面しそうなほど青臭く、あまりに正直で、しかし好感の持てるものでもあった。

 広島と長崎に原爆が落とされてから7年間は米軍による厳しい検閲が敷かれ、原爆に関することはほとんど公にされてこなかった。その後、日本は高度経済成長へ向けてひた走っていく。そんな戦後の過程の中で、「原爆」が何であったか、「ヒバクシャ」の存在が何を語るのかを、聴き、語り、煩悶し、言葉を失い、自分たちなりに受け入れ、そして再び丁寧に言葉を紡ごうとする機会を私たちは持たぬまま、今日まできたのではないかと思う。そういう意味で、映画のなかの「彼ら」は「私たち」だ。
 簡単に見出された「言葉」は、実は思考停止(映画の言葉を借りれば「逃げ」)でしかない。モヤモヤとしたものモヤモヤとしたまま受け入れる-「気をもむ」覚悟と責任が必要なんだろう。
 
 3月11日。
 関西で何ができるかも分からず、ウロウロするだけなのは、1年間で変わらない。
 考えると辛く、モヤモヤとして、言葉が出ない。
 でも、そういう感情を自分たちのものとして引き受けて抱えながら、「わかりやすい言葉」に逃げることなく、前へ進むことが、亡くなった方たちへの追悼のようにも思う。
 
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# by bag-tentomusi | 2012-03-12 03:46

君が代起立条例の成立

 大阪市議会で、「君が代起立条例」が可決された。

 府議会ではすでに可決されていたものの、市議会は「維新の会が過半数じゃないから難航するはず」とか言われながら、議会が始まってすぐに可決されてしまった。卒業式に間に合わせたかったんだろう。

 「じゃあ、あんたは立つのか、立たないのか?」という話題にどうしてもなるので、一応、考えてみる。
 うーん。基本的に「迎合する」(笑)。
 明確な意志を持って立たない人(あるいは立つ人)のことをすごいな、と思いつつ、自分はめんどくさいので、雰囲気を見て立ったり立たなかったりだったように思う。
 大人になってからは、国歌斉唱の機会って実はそんなになかったので、あんまり困ったことはない。
 
 でも、「君が代起立条例」には反対。
 激しく反対。
 肌感覚で、嫌だ。
 なぜならこの条例が、意思表示をする自由を罰則つきで禁じているから。
 「立つ」とか「立たない」とかの問題を越えている。

 「君が代」を、天皇を敬って歌う、大日本帝国を思って歌う、自分なりの解釈で歌う、適当に立って口パクする、「どっちでもええやん」と思う・・・。すべてあっていいと思うし、すべて尊重されるべきだと思う。
 そして、だからこそ「立たない」という自由も尊重されなくてはいけないと思う。今、「君が代」で起立しない者を処罰することを受け入れたということは、仮に政権が変わって「君が代を口ずさんだだけで処罰される時代」が来たとき、それも受け入れたということだ。人の自由を奪うということはそういうことだ。内容なんて、いくらでも変えられる。

 「君が代」で起立するかしないかという問題は、おそらくは自分も含めた多くの人にとって「(暮らしに直結しないという意味で)そんなに重要ではない」問題なのだと思う。しかも「だって公務員だし・・・先生だし・・・」という理由で、思考停止しやすい。
 でも、最初の「些細な」踏み絵を踏むことで、必ず次はもっと大きな踏み絵が差し出される。「我がこと」になったときでは遅い。

 私が「おかしい」「いやだ」と思ったとき、これからもそう言える自由を奪われないために、多様な意見を認めず処罰するこの条例に、反対します。
 沈黙は賛成と同じだと思うから、友だちが減るかも知れないけど、「反対」って言おうと思います。 
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# by bag-tentomusi | 2012-03-01 02:16

Sの会

 「Sの会」へ参加。

 同じ仕事の同級生たち6名と、Sadisticに語り合う場として結成してもう8年になる。
 sadisticゆえ、公共の飲み屋などは危険であるため、そのほどんどがホームパーティーの形をとってきた。
 
 紆余曲折ありながらも全員が仕事を続けていて、最近はみんな忙しくてたまにしか会えないけど、何だかとっても明け透けに語れる、とても大切な「場」だ。

 この日は、1名は0歳児に乳を飲ませながら参加。その他によって、適当にオシメ交換などがとり行われていた。
 この人たちがいたら、シングルマザーも恐くないかも、なんて気になる。

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 持ち寄り用にキッシュを焼いた。
 前日の夜、台所で食事中の同居人さんの横で、おしゃべりしながら下ごしらえ。
 翌日のために、誰かを思って何かを作ることは、楽しい。
 人が料理するのを眺めたり、自分が料理をするときにたわいない話をする相手がいたりすることは、楽しい。
 うちの台所は、もともと土間だったスペースで、夜の料理がちょっといい雰囲気。
 
 朝、オーブンで焼いて、部屋中がいい匂い。
 白ワインをお供にして持参。
 こういう時間は、とても、好き。
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# by bag-tentomusi | 2012-02-26 23:02

柿酢日記④

 昨年の秋から仕込んでいた「柿酢」。
 仕込みと言っても、9Lの梅干壷に柿を入れて、たまにかき混ぜてニヤニヤしていただけだが。

 1ヶ月経つころから酢いぃ臭いが、壷を置いてある玄関中に充満していた。いかにも「酢」の、鼻をつく臭いである。
 それが、ある日を境にして、あんまり臭いがしなくなってきた。
 これは、酸化が進み過ぎて、水になろうとしているのでは?と焦ってザルで漉す。

 何度か漉した後、一升瓶に詰めたのがこちら。
 ほぼ1升の柿酢が出来上がった。
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 味は、米酢に比べるとかなり水っぽいが、柿というよりもちゃんと酢の味がする。
 最近はやりの、フルーツビネガーという感じ。
 しばらくすると、上澄み液は透明度のあるオレンジ色になった。
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 上は原液。
 これをまずは、砂糖と水で割って飲んでみる。
 酵母菌が発生しまくっていた状態のことを思い出すと、ちょっとオエッってなるが、なかなか美味しい。
 ドリンク以外の使い方も、いろいろ考えてみるとしよう。

 以前の様子はこちら→ 
  柿酢日記③
  柿酢日記②
  柿酢日記①
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# by bag-tentomusi | 2012-02-22 22:32 | 柿酢日記


「知彩庵」より。日々の咀嚼と、紡ぐことば


by bag-tentomusi

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